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端末物語

井の中の蛙

井の中の蛙(かわず)大海を知らず・・・を20年前に実感した。
井の中の蛙・・・ とは、荘子の著書の中の 「井戸の中の蛙には、大海は語れない。自分の居場所にこだわっているから。また、夏の虫に氷は語れない。夏の季節しか考えないから。大局を見ないものは真理を語れない。卑俗な教理に捉われているから。」 という部分をことわざ化したようです。小生の頭の中によく浮かんでくる言葉なのでちょっと余計な事を挟んでしまいました。
さらに、どうでもいいことを書き足すなら、夏目漱石の小説に「小生」がやたら出てきて、少年であった私は、それをカッコイイと思った。私にとって、明治の文明開化をイメージする言葉の一つになっています。よって、端末開化に引っ掛けてここで使わせていただきます。

小生がはじめて携帯電話に出合ったのは1990年代の前半だったと記憶しています。日本では一般的にまだ携帯の「けの字」もなかった時代で、出張先のマレーシア/KLで2ヵ月ほど利用していました。マレーシアでは電話線を張りめぐらすようなインフラ整備予算がほとんどなく、携帯電話の方が早く安く実現出来るということで普及したようです。日本で流行っていないのに、何でマレーシアで・・・という嫉妬の思いをそういう理由づけで抑えていたように覚えています。

途上国が先進国よりすばらしい街づくりができるという ちょうど今日の中国上海のような現象であったのかなと思います。田舎を出て東京の大学へ通い始めた時も 井の中の蛙 を実感しましたが、このときは、プライドや自身というものを備えていませんでしたので、素直に受け入れることができました。成長しきったジャパンの一部上場会社のビジネスマンにとってはプライドを傷つけられた思いでショックでした。

今私たちが使っている携帯電話とはさすがに違っていましたが、とても便利で、自分も欲しいと強く思ったことを思い出します。4、5年後の1995年には手にしていたように覚えています。9万5千円程で、高い高い高い と思ったけど先端を歩きたかったので買った。本当に便利だった。そのころは既にノートパソコンが普及していました。小生が最初に買ったパソコンはNECの「98NOTE」で、この魔法の電子の箱を手にした時の感動と同じくらいの感動をこの携帯電話からもらいました。

1995年頃というと、PC98、ThinkPad などのDOS/Vマシンから始まり、GUI対応OSのWindows3.1、Windows95 といった流れだったのですが、当時既に存在した Macintosh には強烈なショックを受けました。そのうちに書き足していこうと思います。

井の中の蛙・・・。携帯電話ショックの巻でした。

END

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